平成十七年 文月


■2005/07/01 金
 昨日一昨日と、寝ようという意識の生まれる間もなく、何時の間にか眠りこけているような状態で。ちょっとチャージが必要かも知れない。そう思って天気予報を見る。けれど、明日も全国的に雨。おっ。一箇所だけ晴れが出てる。よし、晴れに向かって走るか。


■2005/07/02 土
 4時に出発し、前の連休の最後に走った道を反対に走る。あとは天気を見ながら。道の駅でまだ眠っている車を起こさないようにそろそろ走ってみたり、高遠という所の城跡を散策したり。まだ売店も何も開いてない時間。案内板を見ると、高遠城は武田信玄の配下の城だったらしい。古戦場でもあるという。長篠合戦後の武田家滅亡に至る戦いの中で、この城は織田軍に攻められた。城兵三千に対して織田軍何万。激戦の末に陥落した、とある。
 そういえば。武田信玄といえば騎馬軍団なのだけど、いつだか当時の絵巻の騎馬武者を見てふと思ったのは「小さい馬だなぁ」ということ。テレビで見る騎馬武者というのは身の丈より大きなサラブレッドのような馬に乗ってダッダカダッダカと走っているけれど、このサイズはそう、ドサンコだよなぁ、と。そんな事に気付いて今までテレビで見ていた騎馬武者のイメージがひっくり返ったことがある。当時の人の身長が今より低かったことを差し引いても、当時の馬の頭の高さは自分と同じくらいか、低いくらいだったのだろうと思う。馬もまぁドサンコみたいなのだから、騎馬戦のイメージも、思っているよりはのんびりしたものだったかも知れない…と、個人的には想像しているのだが。

 南アルプスに沿って走って行ったけれど、雲が低くて山並みは見えなかった。国道と言っても道幅が1車線か1車線半くらいしかないクネクネした山間の道が続く。途中、動物が飛び出してきたのでブレーキを踏んだ。灰色の生き物。短い角が頭の後方にちょんと出ている。自分の頭の中には記憶されていない生き物。じーっと見て「あっ、カモシカだ」と判るまでに少し時間がかかった。
 途中で昼寝したりしながらのんびり走り、自分以外に停まっている車もない道の駅で宿泊。早く寝ようと思っていたけれど、もう蒸し暑い季節でなかなか眠れない。せせらぎの音が聞こえていたので、蛍でもいないかな、と歩いてみたり、羽虫がたかっている街灯の下にカブトムシでもいないかな、と見て歩いたりしたけれど、どちらも見つからなかった。


■2005/07/03 日
 やはり朝早い方が活動しやすいので、今朝も4時に起きる。窓を開けたまま寝ていたので、左足の足首から下の2箇所、蚊に喰われていた。宿泊料。
 そろそろ蚊対策を考えないとならない季節か。蚊対策用に北見名産ハッカ油のスプレーが車の中にある。これは塗りこんでおくと虫除けになり、蚊に喰われたところに塗るとその染みるような清涼感がかゆみを軽減してくれる。運転中車内にスプレーすると眠気覚ましにもなるし、エアコンの噴出し口にかけると一層涼しい気持ちになるし、更に、煙草の箱の中にスプレーしてしばらく置くとメンソールにもなる、という優れものなので手放せないのだけど、これからはどこで補充しよう。北海道の土産物屋などではよく売っているのだが。
 また細い道をクネクネと走り、お茶畑の続く道を上り下りして、南アルプスの南端にある渓谷に着く。散策コースがいくつかあったので歩く。細い吊り橋が2つあって面白い道だった。途中出会ったもの。カナヘビ、おたまじゃくし、そしてりっぱなナメクジ。人差し指くらいの長さがある。こんなに大きなナメクジは見たことがなかったので、感動しておもわず写真を撮った。
 吊り橋の上で撮った写真を、散策が終わってから改めて見ると、何かは知らないが奇妙な明るい光が写っていた。まるで画面の中をくるっと飛来してきたかのような光の軌跡が伸びている。これはひょっとして…。


■2005/07/04 月
 元々はあるものの諸元計算から始まった話なのだが、何時のまにか「ゼロっていうのは数なのか?」という話になっていたので、「ゼロってのは何も無い、という記号だから、ゼロっていう数そのものは無いんじゃないすか?」と言ったら余計混乱していた。「だから、ゼロってのは何も無いってことなのだから、そういう数字もない…」と補足したのだけど、これはもうほとんど数学ではなくて哲学かも知れない。
 自分の文系の脳で考えると、零と無限大は存在しない。けれど、永遠というのはあってもいいと思う。何と言うのだろう。輪に切れ目がないように、零と無限大は存在しない。でも、その輪をぐるぐると回り続けるようなことに、永遠というのはあってもいいと思う。無限大というのは果てがないサイズのこと。永遠というのは、果てがないと思えるサイズのことだ。

 永遠に終わりはあるのかい?
 さぁ。終わりが見えないからわからんねぇ。


■2005/07/05 火
 笹飾りを見た。
 あ、七夕か。
 そうか、もう七夕か。
 こちらの七夕は七月七日か。

 そういえばそうだよね。すっかり八月七夕に慣れ切っていた。
 ただ、梅雨の最中に七夕、というのは、イメージと違っていた。


■2005/07/06 水
 降ったり止んだり、といった天気。出る時は降っていなかったが、帰りがけにはそこそこの雨になっていた。傘を持たずに出てきたが、職場に置き傘の折りたたみ傘があったので助かった。

 どの傘も乾く間もなし。さすが梅雨。


■2005/07/07 木 
 7月、だからもう季節は夏なのだろう。暑くてたまらない日もあった。海開きのニュースも聞いた。でも、何故だろう。季節がまだ春のような、春がまだ続いているような気がする。
 春夏秋冬、季節は変わる。けれど、季節の間に隔たりはない。ただ間だけがあって、自分の気持ちはまだ、その間のどこかにいるような気がする。…そうだ。今年の自分には、雪融けの季節がなかったんだ。

 日付が変わってからベランダに出て空を見上げてみる。空は霞んでいたけれど、幾つか星が見える。願い事を、叶えてくれるかどうかは判らないけれど、とりあえずは願い事を聞いてくれる、という七夕の星。

 何か願ったかどうかはともかく。
 ベランダで夜風に吹かれていて、ふと、歌を思い出した。

 Somewhere Out There

■2005/07/08 金
 曇りほんの一時だけ雨。このくらいだと涼しくて過ごしやすい。
 久しぶりにイワツバメの雛を見た。ようやく背の黒と腹の白とがはっきりしてきて、前よりもツバメらしくなっている。前に拾ってきた雛、というのが、ちょうどこのくらいの大きさだったかも知れない。もうツバメの姿をしていた記憶がある。
 巣の中での動きも多くなって、頭は出たり入ったり。親が出かけている間もチリリチリリと盛んに鳴き声を上げている。上を見たり下を見たり。時折尾羽が覗いて、巣の外にお尻を突き出して、少しぷるぷるっ、と震えたら爆弾投下。ちゃんと自分で巣の外に「する」んだ、と感心した。けれど、巣の下のアスファルトはもう糞だらけで凄い状態になっている。

 また観察日記風に描くと、今はこんな感じ。
 湿気で泥の巣がゆるくなったりはしないのかな。


■2005/07/10 日
 テレビをつけると先日の大雨被害のニュース。昨日はここもかなり降った。反対に、渇水気味だっダムはこの雨で満たされ、取水制限が解除されたとか何とか。
 雨が続く、というのはこれまでも蝦夷梅雨があったし、何にしろ年間雨量北海道随一の所で育っているので、こちらの梅雨、というのも降水量的には自分にとって問題はない。問題は湿度だ。息を吸った感じのこう、何と言うか、空気は透明なのになんだかいつも霧を吸っているような感じで、しかもそれが生暖かいのだ。梅雨の何がうっとうしい、といわれるのか、解ってきた。
 それでも梅雨の季節も折り返したみたい。いつ明けて、どうやって明けるのかは判らないけれど、道端や家々の庭に咲いているアジサイの花を見ていて何となく、アジサイの花が終わる頃が梅雨明けなのかな、と思った。


■2005/07/11 月
 朝、玄関先でメスのクワガタを拾った。メスのクワガタの種類というのはよく判らないのだけど、サイズと少し赤み入った色の感じはノコギリクワガタかも知れない。そのクワガタを掌に乗せて這わせ、端まで行ったら掌を返して手の甲へ、また端まで行ったら掌へ、ということをずっと繰り返しながら歩いて職場に向かう。そして通りに出る前に、アジサイの花の上に置いてゆく。
 道すがら咲いているアジサイの中に、花が丸く咲くアジサイの他に、中心部がブロッコリーのようなプチプチの蕾のままで、その周辺にだけ花が開くアジサイ、というのもある事をはじめて知った。最初はアジサイだと思って見ていた。でも、他のアジサイが丸く咲く頃になってもそのようには咲かないので、アジサイとは違うのだと思った。けれど葉の形と着きかたが同じなので、花開くのが遅いだけでそのうち同じように咲くのだろう、と思った。で、結局は花が丸く咲かないアジサイもあるのだという事が判った。
 その間、およそ3週間。


■2005/07/12 火
 たまたま通った道で、たまたま通りかかった告別式の会場の前。一日中曇りで、小雨がぱらついた日。この蒸し暑さ。アジサイの花。ふと心にとまったフロントガラスの車検のシール。季節、風景、感覚が、新しい記憶と結びついてゆくのだろう。悲しみの見えない距離。日付が変わる時刻のベランダへ出る。いつもの霧で星空はなく、灯るのは霧と街灯のぼんぼり。それら全てかその中のどれかか、今日という日の、記憶の鍵になってゆくのかな。

 半袖のワイシャツの数がとても一週間持たないので、珍しく平日に洗濯した。


■2005/07/13 水
 あまり余計なことを考えないようにしていたせいだろうか。仕事は今日ひとつのヤマだったのだけど、そうと感じることもなくそれを超えていた。
 昨夜遅く、今は遠くなってしまった街に住む親戚の突然の訃報。と、これだけ書くので精一杯なのだけど、記しておく。

 今夜のベランダも星は見えなかった。


■2005/07/15 金
 へ へ
 の の
  も
  へ

 顔文字、じゃなくて、らくがき。ちょっと行間があるので変だが。
 この部屋に入居した時、玄関のチャイムに細字のマジックで何だか書き込んであったので、擦って消してボールペンでドラえもんを書いておいた。けれど、いつの間にか湿気で消えてしまったみたい。で、今日ふとチャイムを見たら数字の「7」のような記号が書き込まれていた。前に住んでいたところでも、表札をつける部分やNHKのシールに書き込みをされることが数回あったので、その都度消していた。タイミングからすると訪問販売が書き込んでゆくもののようだ。玄関前に直接書き込まれているところを見ると、チャイムを押す前に販売員が知っておきたい情報、例えば「応対の態度」「家族構成」「在宅時間」などの情報を残し、個人的に利用しているか、互いでやりとりしているのだろう。
 これまで書かれてどうこう、ということもなかったので、まぁいたずらみたいなものなのだけど、何となく感じが悪い。でも、ただ消すだけ、というのも芸がないので、消すと同時にこちらからも色々と小細工した。つまり、自分で落書きしたのだ。例でいうと

 「らくがきするな!」
 「へのへのもへじ」+「←らくがきするな!」
 「アメリカ!」(特に意味はない。)
 「Dragon Ball」(最初に「D」と書いてあったのを受けて。)
 「静かに。子供が起きてしまいます。」(これも特に意味はない。)

 といった感じ。そしてドラえもん。
 通常は、こちらが書いた落書きがあるとなかなか落書きされない。でも、自分で恥ずかしくなって消すと、また落書きされる、といった感じ。でも、さすがにネタが尽きた。さて今回は何を書こう。
 そうだ。学校にいたころみたいに、机に質問を投げかけるような落書きを残しておいたら、他の授業でその机に着いた人がそれを受けて気の利いた落書きを残して、それが続いてゆくようなこと、起こらないだろうか。


 久しぶりに晴れ。
 明日、晴れますように。


■2005/07/16 土
 釣具の手入れをするのに機械油を使っていて、ふと思いついて、昨日見つけた「7」を消してから、玄関チャイムのボタン周辺の部分にごく薄くその油を塗っておいた。ピンポンを押す分には汚れもしないし問題ない。でもこうすると、油性ペンで何か書こうとすると、まぁ書けなくはないが書きにくいだろう。ペン先を駄目にする効果もある…と、ちょっと意地悪で自分でやっていても何だかなぁと思ったのだけど、まぁワタクシ根っからの悪戯っ子なので、こういうことだけはすぐに思いつく。昨日思いついたことも捨てがたいけれど、悪戯にはとことん悪戯で対抗するのだ!

 夜のベランダへ出る。沈黙ではなく、静寂。しーん、しーんと鳴く虫の声が聞こえる。
 夜の海岸に思いを馳せる。今、どんな音が聞こえているのかな。波の音? 風の音? 虫の声?

 そうだ。今日ね、いいニュースがあったんだ。
 ここらへんに蛍がいるんだって! 見たって人がいたんだ。

 昼過ぎから霧が濃くなった一日。今夜も空に星はない。
 けれど、明日も晴れますように。
 

■2005/07/19 火
 梅雨も明けたそうだし、今日から夏。
 でも、今日1日で初春から夏まで駆け下りてきたみたいだったが。

 いい夏になるといいね。


■2005/07/25 日
 北海道から出ることを望んだのは、北海道が嫌いになったから、ではない。けれど、人に聞かれると「雪の無いところに行きたかったから」「もう飽きたから」などと、子供の憎まれ口のようなことを言う。本心は別にあるような気もするのだけど、自分にもよくわからない。なので、そういう人が聞いて納得しやすい説明でしのぎながら、本心を探している途中なのかも知れない。
 人生のある時、故郷を飛び出した経験、というのがあるだろうか。飛び出した後で、故郷のことを人にどう言っているだろうか。「自分の故郷はこんなに素敵なところで…」と言っている人にあまり出会ったことはない。そこが一番素敵な所なら、そこを離れる理由はないのだから、自然とそういう傾向になるのかも知れない。故郷というものは「田舎で、何も無くて…」「雪は降るし、冷蔵庫の中は凍るし…」といった感じで語られる事が多い気がする。
 それを本音で語っている人もいるし、そうでない人もいる。本音で語っているのは、それはそれでいい。複雑なのは後者だ。意識的に故郷に背を向け続ける。意地でも帰らない。理由は様々だ。郷愁を断ち切るために故郷を卑下して言うものもいる。単に都会では田舎の「なにもなさ」や、雪が二階まで積るだとか熊が出るとかいった「自然条件」のことを言う方がウケがいいから、そう言っているだけの人もいる。でも、そのどちらの気持ちも、自分にはわかる気がする。

 自分の場合は北海道出身ということで、故郷は「北海道」とされている。でも、故郷と呼ぶには北海道という土地は大きい。自分の故郷は、大きな北海道の中の、ほんの小さな土地に過ぎない。だから、故郷に帰る帰らないという話は別にして、北海道に帰るかどうかと訊かれれば、いずれは帰るかも知れない。…そういえばもうそろそろ、毎年の進路希望を出す時期だな。
 職場は全国区での転勤が普通のところなので、他都道府県から人が集まっている。全国各地を転々としているうちに、生まれたところとは全く別のところに故郷を見つける人もいる。実家のある所や生まれた所が必ずしもその人の故郷とは限らない。色々な土地で生活しているうちに、出生地とは別に真の故郷、心の故郷といえる場所が見つかる事もある。

 夏の甲子園、今日は新たに何校の代表校が決まりました。そういうニュースを見た。
 都道府県単位でしかわからないけれど、ある人の「故郷」を知りたい時。高校野球でどこのチームを応援しているか、気になっていのるか、訊いてみるといい。よほどの理由がない限り、その土地がその人の故郷だ。

 自分の故郷は、今のところゆるぎない。


■2005/07/27 火 初台風
 直進していた台風は進路を変えて、この場所は雨以外特になく、海上に抜けた。あーよかった、というつもりはない。台風はこれから速度を上げて、北に向かうのだ。これまでずっと、台風一過の首都圏の映像が流れるころにやってきた台風。
 携帯のアドレス帖には登録されていないアドレスからメールが届いた。すでに姉から情報は得ていたが、それは両親(多分起案は母、操作は父だと思う。)から、しかも携帯電話で届いたメールだった。長女長男に勧められること幾年月、ついに両親が、夫婦で1台だけど、携帯電話を持つことになったのだ!
 内容は、おそらくン時間はかけて書いたと思われる2行だけ。まだ句読点の出し方は判らないらしいが、まぁ淡路島まで行って家系を調べ上げて写真やら文章やらをパソコンで編集して一冊の本をつくるよりは数段やさしいだろう。
 思えば両親は、携帯を勧める度に「操作が難しい」と抵抗していた。でも、自分で撮ったビデオ画像をノンリニア編集したり、デジカメで撮った風景写真の電線が邪魔だからと消したり、親戚だけで撮った集合写真の中に、その場にはいなかった自分を他の写真から切り抜いてきて合成したりしているような親父が「操作が難しい」と言っているのが、何かいっつも可笑しかった。やっと観念したか。

 多分途中で熱帯低気圧に変わると思うが。
 これから台風行くから、気をつけてな。


■2005/07/29 金
 自分のした事にどんな価値があるのか、人からどう思われているのか。自分は何をしたのか。そういうことよりも、自分が何を思ってそれをしたか。それをしているその時々の自分を、自分はどうとらえていたのか。そっちの方により深い意味があると思う。
 ということを書いていて、こういうことは前にも書いただろうか、と思った。「前にも書いただろうか」と思ってしまうのは、前に書いたことはなるべく書かないようにしていた、前に書いていた時の癖かも知れない。今はそんなこと関係ないのだけど。

 むしろ、以前に書いていたことと同じようなことを今の頭で考えてみたら、面白いかも知れない。


■2005/07/30 土
 目覚めると雷雨。近いな…と思っていると、光ると同時にドカンときた。稲妻の形も判別できないほど近くに落ちる稲妻は、時に黄色やオレンジといった、やや暖色を帯びている。
 以前、車で通りかかった傍の向上の煙突に雷が落ちた時、まだその残像も消えないうちに、その雷が落ちた煙突の先から、白くて丸い光の玉がすーっと横に走って消えたのを見たことがある。


■2005/07/31 日
 携帯電話のメールの「件名」欄には、一体何文字くらい打てるのだろう。
 以前、本文を打っているつもりでずーっと件名欄に文字を打って、そのまま送ったことがある。まぁ普段のメールだから2行くらいなのだけど、それでも結構な文字数だと思う。

 以前書いたものの中で一番長いタイトルは「大勢の釣り人の中で一人だけ鮭を釣り上げてしまった少年の話」だ。でも、最初にそれを載せた「さるさる日記」ではシステム上、それほど長いタイトルを受け付けてくれなかった。なので泣く泣くタイトルを切り詰めた記憶がある。

 今夏初めての海、のつもりだったが、人出の多さの前に完敗。
 さすが首都圏を抱えているだけのことはある。

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